「トマスはイエスに言った。主よ、どこへおいでになるのか。わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう。イエスは彼に言われた。わたしは道であり、真理であり命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」
(ヨハネ14-5)
埼玉県越谷市に赴任して間もないころ、遠方の信者さんを訪ねることになりました。その方の町までは来ましたが、なかなか家まではわかりません。約束の時間にあと数分となってもわかりません。何度も同じところに来てしまい、自分がどこにいるのかわからなくなりました。ある交差点で信号待ちのとき、さっと降りて前の車の運転者に尋ねました。すると彼は「ついて来なさい」と言って、近くまで案内してくれました。それからUターンして去っていったのです。本当に助かりました。まさしく彼は「道」でした。私たちは信仰生活をするうえで、どちらへ行ったらいいのかわからないときがあります。前方の道はふさがれ、不幸なことばかりが次々と起こります。いったいなぜでしょうか。トマスは「私にはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」と尋ねました。するとイエス様は「私は道である」と言われます。祈りの答えは私たちが願うようには早くこないかもしれません。しかし主は私たちの最適をご存知なので、私たちが求める以上のものを与えてくださいます。信仰の道は先が見えません。でもイエス様は見えます。イエス様は実在されたからです。キリストは神に近づく唯一の道であります。そして父のもとには住まいがたくさんあるのです。
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