「主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」(ピリピ4:4)
私たちは、キリストのお体である教会を、キリストを愛するように愛して、私はキリストの体の一部分であり、その器官であるということを自覚して、群れの形成のために役立つべきであります。福音というのはグッド・ニュースということですが、それは喜びの群れ、喜びの告知であります。クリスチャンの本質は喜びであります。恐れおののいて、その聖なるものに圧倒されるものではなく、キリストに触れての喜びであります。福音の中に生かされている者は、苦虫をかみつぶしたような生き方をする必要はないのです。「あなたがたをののしり、迫害し、偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたはさいわいである。喜び、よろこべ…」と、マタイの福音書5章11節に書かれています。主を愛するがゆえに、私たちの家の中に入ったときには、その玄関は「喜びの玄関」であるべきでしょう。たとえ疲れ果てて家に帰ってきても、ドアを開けたら喜びの玄関でありたいです。感謝に満ちる感謝の部屋があり、お祈りをする部屋であり、賛美の部屋でありたいものです。私たちは、イエス・キリストの心をわきまえた者として生きるときに、喜びの中に生きることができるようになるからです。
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