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2016年8月28日(日)

私の娘は九か月です。ついこの間までハイハイするのに一生懸命だった娘は、

今はそれをクリアし、つかまり立ち、つたい歩きに精を出しています。

ある日のこと、ちょっと目を離した隙に娘は歩行器に手をかけて立ち上がりました。

立ち上がった瞬間、ストッパーのない歩行器はするすると滑り出しました。

「転ぶ・危ない」そう思った瞬間、幸いにも歩行器はジュータンの縁に引っかかり、

何事も起きずにすみました。「危なかったんだよ。動くものにつかまったら痛いよ・・・」

などなど、まだ言葉のわからない娘に、しきりに言い聞かせていました。

その日の夜、何事にもならなかったことを感謝しつつ聖書を読んでいますと、

詩編125編が目に飛び込んできました。「主に信頼する者は、動かされることなくて、

とこしえにあるシオンの山のようである。」

 そして「私は娘に、動くものにつかまるな、と言ったけれど、自分自身も動くものにつ 

かまっているんじゃないかな・・・。」という質問が、自分自身の中に湧いてきました。

自分の考えや判断、感情、人の目、人の考え、人のやっていることなど、コロコロ変わっていくものに頼り、そのたびに一喜一憂してしまい、聖書に何と書いてあるかを求めていなかった日のことなど、いろいろなことを振り返ることができました。

 何の変わりもない生活の中で、神様は一人ひとりを見つめておられ、み言葉を通して、いろいろなことを教えてくださいます。

(毎日の生活の中で・かおるお母さんの証)

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