その日、弟子たちが集まっていた家は真っ暗でした。イエス様を十字架にかけた人たちが、自分たちのことも捕まえに来るのではないかと恐ろしくなって、家の扉という扉を全部閉めていたからです。
イエス様が死んでおしまいになった・・・弟子たちの心も真っ暗でした。
その時のことです。十字架にかかって死なれたはずのイエス様が「シャローム」と言って弟子たちの真ん中に立たれたのでした。そしてご自分が十字架で突き刺された手やわき腹を「ごらんなさい」と、見せてくださったのです。
イエス様が生きておられる。弟子たちは、イエス様が今も生きておられることを知って喜びました。ところが、その時、そこに一緒にいなかった弟子がいました。トマスです。ほかの弟子たちが、喜んでトマスに知らせました。トマスは答えました。「私は信じません。イエス様の手の傷穴に私の指を入れてみなければ」トマスは、本当にイエス様を愛していたお弟子でした。だから、イエス様が死んでおしまいになったことが悲しくて、心がしぼんでしまっていたのです。すぐにほかの弟子たちと一緒にその話を信じて喜ぶ気持ちにはなれませんでした。
それから、次の週の日曜日、イエス様は、弟子たちが集まっているところにもう一度来られました。その時には、トマスも一緒にいました。イエス様はトマスにおっしゃいました。「あなたの指で、私の手、私のわき腹を触ってみなさい」トマスはもう疑っていません。しぼんでいた心も、今は驚きと喜びで一杯になりました。イエス様は本当に生きておられるのだ。トマスにもはっきりと分かりました。トマスは言いました。「イエス様こそ私の主です。私の神です」イエス様はトマスも信じる人になったことを喜ばれました。私たちはどうでしょう。この目でイエス様を見ていません。
この指をイエス様の傷穴に入れることもできません。でも、イエス様はおっしゃいました。
「見なくても信じる人は幸いです」本当のことは、この目で見えることとは限りません、私たちは今、本当にイエス様が生きておられ、私たちと一緒におられることを信じることができます。それはうれしいことですね。
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