「わたしはどんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしを強くして下さる方によって、何事でもすることができる。」
(ピリピ4章11~13節)
インドのお話です。ある人が、たいそう高価な宝石を持っていました。
強盗がその人の家に入り「その宝石をよこせ」と言いました。その人は「いいよ」と言って渡しました。
ところが、しばらくすると同じ強盗が戻ってきて「これを返す」と先ほどの宝石を返しました。
その人は「何か代わりに欲しいものはありますか」と聞きました。
すると強盗は「これだけ高価な宝石を人にやっておきながら、ちっとも惜しがらないお前の心が欲しい」
と言ったというのです。私も自分にこのような心があったらと思います。物事に執着しない、こだわらない心です。西郷隆盛は「金も名誉も地位もいらないという者ほど怖いものはないが、また同時に頼りになる者もいない」と言いました。
私どもは、どうしたらこだわりから解放された自由な心を持つことができるのでしょうか。
聖書はいつも自分ではなく、天の父なる神様を第一にするときに、そのような自由な心が与えらえると言っています。使徒パウロは、私は自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたと言います。
私たちもそうでありたいものです。
これから礼拝が始まります。思い煩いから解放され、主の中に憩いましょう。
Comments are closed.