
「主よ 私を待ち伏せている者がいますから あなたの義によって私を導いてください。私の前に あなたの道をまっすぐにしてください。」(詩編 5章8節)
この詩人は周りより自分が「正しい」という主張をしているわけではありません。
むしろ、大変な状況の中で「あなたの義」によって導いてほしいと願い、ただ神さまの「正しさ」に飢え渇いているのです。
私たちが自分の罪を知る時、神さまの「正しさ」を求める必要に気づきます。なぜなら、私たちは本当の「正しさ」を自分の内側から見いだすことはできないからです。それでも、私たちは自分の「正しさ」に期待して、すがります。
この世界に生きている限り、私たちはさまざまな罪に向き合うことでしょう。それは同時に、自分自身の罪と対峙することです。自分自身の「罪」と「正しさ」に絶望した時、神さまだけが「正しい」とわかります。
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