Home » コラム » 2019年6月9日(日)

2019年6月9日(日)

「祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」 (ルカ15:32)

ルカの15章は福音の中の福音と呼ばれるほど、神様の慈しみ深い愛が十分に示されているところです。

 この話がなされたときの状況は、イエス様がファリサイ派の人たちや律法学者たちから、罪人たちとの交わりや彼らとの食事に対しての釈明として語られたのです。

 罪人を救うためにこの世に来られた救い主の使命と、罪人を救うための交わりの働きとは共通しているため、この章で語られた3つの話は福音の本質を示すこととなりました。それぞれの話は3通りのクリスチャンを示しています。

 迷子になった1匹の羊は、人生の荒野でさまよっている人を示しています。

 失われた銀貨と放蕩息子と呼ばれる話は、神様のもとから離れて、失敗してしまった人を表しています。

 しかし、愚かさのゆえにであっても、それらの罪人を求め、救い、喜ばれる神様の愛は圧倒的なものです。

 私たち1人の価値は99人と等しいのです。

 自分もその1人であるとの自覚を持つとき、神様の愛は生き生きとしたものとして心の中でよみがえり、救いの喜びの中に生きていけるのです。

Comments are closed.