
福沢諭吉は今から180年ほど前、貧しい武士の子として生まれました。
その時代は、殿様の家は一生殿様、身分の低い家は一生身分が低いというふうに決められていました。
そして、このようなことを誰もおかしいとは思いませんでした。
諭吉は、なぜ人間に上下があるんだろう。神様はどうしてそれを助けてくれないんだろうという疑問を持って大きくなりました。
大人になって、外国のことを知りたいと横浜へ行きました。
そこにいる外国人にオランダ語で話しましたが話が通じません。
世界で一番広く話されているのは英語だということがわかり、諭吉は27歳でアメリカへ渡ります。その当時のアメリカでは、教会で子供を集めて勉強を教えていました。郵便物に切手を貼れば相手に届く。気の毒な人を集めて看護をする病院もありました。諭吉はとても開けたアメリカを見てびっくりしました。
アメリカではその人の努力次第で大統領にもなれるし、大統領の子供であっても努力しなければ社会から忘れられていく。キリスト教の国であるアメリカに渡って、諭吉は人間はすべて平等であることを学び、大きな感動を受けました。
そして「学問ノススメ」という本を書き、その中には「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という有名な言葉を書き表しました。
人間はみな平等という意味です。神様によって造られた私たちは、1人1人価値のある存在なのです。
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