「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」
(マタイ11章28節)
あらゆる哺乳動物と違って、人間の赤ちゃんはお乳を飲みながら休むのだそうです。
5、6回お乳を吸っては休み、5、6回吸ってはまた休む、をたゆみなく繰り返します。
この休みの目的が、単なる無駄時間でないとわかったことは実に大きな発見でした。
むしろ、この休みにこそ、お乳を飲む5、6回を意味あるものにしている力があったのです。
この休みを医者は「人間の成長の可能性」を秘めていると表現しています。
この休みこそ、赤ちゃんがお母さんの顔を探し、その瞳を探している時であり、生きている喜びを体感している時だったのです。
ここに、赤児に神が与えられた人間の能力を自由に開花する準備の時があるのです。
この休みの時を放棄して、いわば効率的な連続したお乳の飲み方をするようなことを赤ちゃんは決してしないのです。
主なる創造主の神は、私たちに6日働いて、7日目に休むようにと1日取って置いてくださいました。この休みの日は、単に何もしない日ではありません。他の6日を意味あるものとなす日なのです。
7日目の安息日は、神の瞳を見上げて交わる日、喜びを体感する日なのです。
主は「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と仰せになっているのです。
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