「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています」 (1ヨハネ4章16節)
神聖ローマ帝国の王様は強大な力を持っていました。
彼は覇権を握っている多くの国々を眺めたとき、一つの好奇心を持ちました。
「果たして、多くの言語の中で、どの国の言葉が一番人間に自然で話しやすい言葉だろうか。」
彼は一つの妙案に気づき、実行しました。生まれたばかりで言葉をしゃべらない、100人の赤児を宮殿に集めて、観察することにしたのです。無理を言って母親から引き離し、一人一人に乳母をあてがい、栄養や衛生は宮殿で完璧を期しましたが、言葉を一言もしゃべってはならないとの厳命のもと、実験は始まりました。
さて、赤児がしゃべり出した言葉はどの国の言葉に近かったでしょう。実験の結果は ?
意に反して、実験は1年と持ちませんでした。赤ちゃんが餓死し始めたのです。
今日、これは人命軽視の野蛮な行為とされますが、当時はわからなかったのでした。
どんなに乳母から栄養をもらったとしても、言葉を話しかけることを禁止され、愛撫することを拒否された子供は、食欲が低下し生きるより死ぬほかなかったのです。
私たちが生きるのは愛されているからです。愛され、期待されて初めて人は生きるのです。
何にも勝る神の愛が、私たちの内に全うされるとき、私たちは確信を持って生きるのです。
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