
「人間は羊より、はるかに値うちのあるものでしょう。それなら、安息日に良いことをすることは、正しいのです。」
(マタイによる福音書12章12節)
イエス様が緊急の病人でもない人たちを、あえて安息日に癒された記述はいくつもあります。
片手の不自由だった人、生まれつき目の不自由だった人など、イエス様はすぐに癒されなければ命にかかわる病人でもないのに、なぜ安息日に癒されたのでしょうか。
しかも安息日に仕事をしてはいけないという決まりを知っていたはずなのです。
神様は安息日に私たちを助け、必要を満たすために働き続けておられます。
安息日にも空気があり、水があり、食物があります。
血液が流れ、細胞は活性化し、内臓は動いています。
安息日でも美しい花が咲き、緑豊かで、小鳥が鳴いています。
イエス様は、安息日が人を癒し、解放するためにあることをお示しになったのです。
私たちが普段、見失っていることを示し、ないがしろにされている真実を見つめるチャンスに気づいてほしいとの願いを込めて、あえて評判の悪くなる危険を冒して私たちのために安息日の癒しを数多くなさったのです。
その働きを通して、神様が病人の苦しみの本質が何であるのか、その人の気持ちがいかに辛く厳しい状況であるのかを理解しておられることを、またそれを決して放置されない方であることをお示しになったのです。
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