
「すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。」(マタイによる福音書21章35節)
キリスト教は人を救う宗教です。
もうだめだと思える人が生まれ変わって祝福されています。
どうしようもない人たちが、すばらしい働きによって世界に貢献していきます。
ここに出てきた農夫たちは、どうしようもない人たちです。
契約通り払うべき売上金を出し渋るのみならず、集金人に危害を加え殺人をしているのです。
普通でしたらここで終わるはずですが、神様は忍耐されます。
さらに次々と使いを出し、そして、自分の息子を送ります。
キリストが来ても彼らは十字架で殺してしまい、とうとう堪忍袋の緒が切れました。
ところが、歴史はその農夫たちが使徒たちの説教で次々と救われている事実を書き残しています。
「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。」(使徒行伝 6章7節)
私たちの生き方は、自分たちと違った信仰や生き方を責めるよりも、いかにその人を生かし、祝福するために生きていけるかを考え、行動することではないでしょうか。
イエス様はおっしゃいました。
「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」(マタイによる福音書 7章12節)
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