
遠いところにいる友人やおじいちゃん、おばあちゃんなどと電話で話したり、手紙のやりとりをしたこと、ありますか。
聞こえてくることばや書いてあることばから、あたたかい心が伝わってきたり、ことばを送ってくる人の顔が目に浮かんだりしますね。
神様も、私たち1人1人に、ことばを送ってくださっています。
神様の手紙が私たち1人1人に届いています。それはイエス様のことです。
イエス様のことを、聖書を読んだり、教会でお話を聞いたりしていると、神様がどんなお方で、どんな心で、私たちのことを思ってくださっているかわかってくるのです。
クリスマスはイエス様がお生まれになったことをお祝いする時です。
このクリスマスを考えてみましょう。
イエス様という賜物を父なる神様がくださったことにどんな思いが込められているか。
イエス様のお生まれになったところはどこだったでしょうか。ベツレヘムの家畜小屋でした。
宿屋はどこもいっぱいで、ヨセフさんとマリアさんは、しかたなく家畜小屋で赤ちゃんを産むことにしました。
とてもつらいことだったと思います。王様の宮殿でもない、お金持ちの立派な家でもないみすぼらしい家畜小屋でお生まれになった。
とにかく屋根があれば上等で、野原で野宿する人たちもたくさんいたことでしょう。
そういう意味では普通の人たちの間でお生まれになった。
私たちのために救い主がお生まれになったということでしょう。
そこに神様の思いがあらわれています。
最初に礼拝にきた人は誰だったでしょう。羊飼いです。
王様でもない、貧しい暮らしをしていて、生きていくことが大変だった。普通の人たちでした。
何のとりえもない普通の人たちが招かれている、そこに神様の思いがあらわれています。
イエス様は大きくなってどういうことをなさいましたか。十字架におかかりになったのです。
私たちの罪の代わりに十字架にかかって死なれ、私たちの罪をゆるしてくださいました。
そこに独り子のイエス様を遣わしてくださった父なる神様の思いがあらわれています。
どんなに私たちのことを大切に考え、愛してくださり、いつも一緒にいてくださる、イエス様を通して神様の思いが伝わってきます。
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