
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」
(ヘブライ人への手紙 4章15節)
どうして聖書記者は「できない方ではない」と言われたのでしょうか。
何か理由があり、そうです。
ヘブライ人への手紙では、イエス様と人間の大祭司が比較されています。
人間はだれでも限界を持っています。それが被造物である証拠だとも言えるでしょう。
他人にやさしく、親切でなければならないことは誰でも知っていますが、それをなかなか実行でいないのが人間の弱さです。
上の文章を書いた聖書記者も、人の弱さに同情できない、自分の限界をよく自覚していました。
ここに彼が「弱さに同情でいる方である」と単純に書かなかった理由があると思います。
彼は「人はみな罪人であり、他人に同情できないような冷たい存在である」ということを知っていたのです。
しかしこの聖書記者は、本物の愛を持っておられる方を1人だけ知っていました。
「イエス様だけは同情できない方ではない」と、彼は宣言しています。
「誰も私の弱さ、私の気持ちをわかってくれない」と感じるとき、イエス様だけは「わかっているよ」と言ってくださるのです。
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