
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
(ローマ人への手紙 9章16節)
なかなか勉強しない私に、担任の先生がこんなことをおっしゃったのを覚えています。
「どこの家でも、泥棒に入られないためにカギをかけるだろう?そういう備えをしておかないとどうなる?困ったことになるんだよ。お前も悪い結果を経験したくなければ、準備をするんだよ。
勉強するんだよ。わかったな。」
これだけは伝えておかなくては、という先生の気迫を感じたのでしょうか。
その時のことを今でも覚えているのです。
どんなことをするにも、努力が必要です。努力なしに成功することは不可能です。
しかしただ1つ、努力の及ばない世界があります。それは神の救いです。
パウロは神の救いの計画は「人の意志や努力ではなく、神の憐れみによる」と言いました。
もし救いが、人の努力や意志の強さによるものだったら、救われた人は、「私は頑張った」と自慢するようになるでしょう。そして頑張れない人、弱い人を見て
「あの人たちは努力が足りなかった」と言うようになるでしょう。
神様以外は、みな弱い存在です。いろいろな人がいて、頑張り屋さんもいれば、だらけた人もいますが、救いに関しては、みな無力です。
神様はそんな私たちを一方的に憐れんでくださったのです。
私たちがすべきことは、その救いを受け取ることだけです。
それは人の努力や意志によりません。神様の憐れみによるのです。
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