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2020年10月11日(日)

「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(へブル人への手紙 922節)

23年前の春休みに私は聖地旅行の機会に恵まれ、心踊る経験と感動が与えられ深く感動しました。

当時、私はヨハネ第1の手紙を学んでおり、ヨハネが経験した神の愛と聖地旅行で歩んだゴルゴダへの道がどうしても重なり合っていました。

ヨハネはこの命を捨てることが神の愛の本質であると知り、さらに深くその愛の姿を見つめます。

彼は自分が愛されたことを考えています。

あのようにイエス様の高価な血が流されたほどに自分は愛されています。そしてヨハネの心から痛いほどの涙が流れます。

「ああ、主よ、どうしてあなたは私のような者のために血を流されたのですか。私はご存じのように、このように弱く汚れています。私はあなたを捨てた者です。」

ヨハネはただ泣きながら神の姿を見つめます。

彼は「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して下さって」と書きました。

神の愛は神の方から送られてきます。それを受ける資格のない者に神は愛を送られるのです。

私は初めてあの聖なる地に立ち、十字架を背負い、幾回となく倒れ苦しまれた主イエスのお姿を思い歩んだとき、涙があふれました。これが神のアガペーの愛なのですね。

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