
昭和29年秋、近づく台風のニュースがラジオから流れてきました。情報といっても今ほど詳しいものではありませんでしたが、その台風で千数百名の尊い命が奪われました。
時々、ポーポーッと汽笛の音が聞こえていました。青森行きの連絡船、貨物船が七重浜沖に戻ってくるためのものだということは、後でわかりました。当時としては、大きくスマートであった洞爺丸という船も、船内は生き地獄の有様だったと生存者は語っていました。乗船客の中にリーパーさんという方がいらっしゃいました。この方は、キリストの福音を日本の青年たちに伝える大切な使命を持って広く活躍されておりました。
リーパーさんは、渡された救命胴衣を、自分で使わずにそばにいたお子さん連れの若い母親に渡し、「どうぞ、助かったならば、教会に行ってくださいね」と話されたそうです。
友のために自分の命を捨てたリーパーさんの大きな愛。このことが新聞に記事となって載りました。
Comments are closed.