
「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる」(詩編37:24)
病気、特にガンなどの重い病気のことをご本人や家族に伝えることを、告知といいます。誰にとっても、告知といえば生易しいことではありません。
でも、その難しさは告知するべきか、せざるべきかという問題ではなく、どう真実を伝えるかという問題なのです。
ある人にとって、それは「酷知」となってしまいます。
しかし、真実を知ることは、その人に「酷」な経験ではなく、痛みを伴っていても、すばらしい成長を遂げる機会であります。
ある人は「人は病気になって初めて人間になる」と言いました。
危機に陥ったことのない人は傲慢になるかもしれません。しかし、危機は人を謙遜にします。人の限界を教えてくれるのです。人が一番霊的になるのは、自分の限界や、危機を知るときです。
主は、私たちの限界や、病気、苦しみ、失敗の中で、私たちは「捨てられ」ているのではないかと仰せになります。いや、その患難や、苦しみの中で勝利を得させてくださり、なお余りがあるとおっしゃいます。
主イエスは私たちに、お前は病気にならないと約束する代わりに、病気の中でも私はあなたと一緒にいるよと「その手をとらえて」お約束くださいます。
真実を知る経験は酷なことではなく、主と分かち合う素晴らしい経験となるのです。
主よ今日1日、我が手をとらえていてください。
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