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2018年1月28日(日)

 

 

 

 

 

「この三人のうち、誰が強盗に襲われた人の隣人になったと思うか。彼が言った。その人に慈悲深い行いをした人です。そこでイエスは言われた。あなたも行って同じようにしなさい」(ルカ10:36)

この良いサマリヤ人のたとえと言われるお話の中に、三つの生き方の哲学があります。まず強盗の哲学、祭司とレビ人の哲学、良いサマリヤ人の哲学です。強盗の哲学。「あなたのものは私のもの。みんな頂きましょう。」この方法で多くの者が生活しています。捕まらない限り、人を欺いてもかまわないとさえ思われています。彼らは自分がほしいものは、人を傷つけてでも手に入れようとします。欲心を満たすむさぼりのためには手段を選ばないのです。祭司とレビ人の哲学、「私のものは私のもの、私は誰にもあげない。」彼らは悪をせず、罪を犯すわけではないが、善を行うことはしない。彼らは与えることを拒んで、自分の持っているものを誰にもあげまいと決めているかのようです。人の欠乏や痛みに心を動かされることはない。何であれ失うことを拒否して、かえって貧しくなるのです。利己主義や強欲は、品性の死を意味します。私たちは人に分け与えるとき、自らも祝福を受けるのです。良いサマリヤ人の哲学、「私のものは、みんなのもの、みんなに分けてあげます。」これはキリストの哲学です。他人に善をはかり、与えることがキリストの精神です。愛の奉仕は偏見をくだき、魂を神に導きます。

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