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2018年1月14日(日)

 

 

 

 

 

「イエスは彼に言われた。今日、救いがこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」(ルカ19:9)

ザアカイは、自分のような嫌われている者に目を留められたイエス様の愛とへりくだりに圧倒され、驚いてしばらくはものも言えませんでした。しかし、今、この新しく見いだした主に対する愛と忠誠心が彼の口を開かせます。彼は自分の告白と悔い改めを公表して、客人たちの前でこう言うのであります。「主よ、私は誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、だれかから不正な取り立てをしていたら、それを4倍にして返します」

ザアカイがイエス様を自分の家に向かい入れ、新しい生活を決意したとき、彼は取税人という職業を辞めますとは一言も言っていません。むしろ彼は、立派な税務署長になりますと言っているのです。このザアカイの姿は、私には興味深く感じられます。まずイエス様と出会うということが、必ずしも、それまでの立場や職業を放棄したり、生活様式の変化をもたらすとは限らないということです。ザアカイが、自分の財産の半分を貧民に施し、不正を4倍にして返したために、それまでの税務署長の地位を失ったり、破産したという記録はありません。ザアカイの日常生活は、代わり映えのしないものであったにちがいありません。同じ仕事が続いたでしょう。しかし、お金に対する考え方、税金を取り立てるときの精神は一変しました。それが「今日、救いがこの家に来た」との主のお言葉の実証となったことでしょう。  

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