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2017年4月23日(日)

「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼にわたしたちは主にお目にかかったと言うと、トマスは彼らに言った。わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」

(ヨハネ20章24ー25節)

年を取ると、物の置き場所を忘れることがあります。愛用のペンがいつもの場所に見つからないので、家族に尋ねました。「ペン知らない。」「私は知りませんよ」家族に疑いの目を持って、そして翌朝、洗面台の上にペンを見つける場合があります。家族に疑いの思いを抱いたことを自分で恥ずかしく思ったことはありませんか。

人を疑ったり、責任を他に転嫁したりするのはよくありませんね。トマスはもしかしたら、イエス様の復活のニュースを他の弟子たちに知らされたのが面白くなかつたのではないでしょうか。今日の聖句はトマスの二つの弱さを示しているように思います。一つは自分が情報の第一人者でないことを不満に思ったことです。二つ目は証拠を見なければ信じないという態度です。トマスの態度は、イエス様への不信仰と同時に弟子たちにも不信を持っていたことを示しています。長い人生では自分を軽視される経験はよくあります。しかし、これを自己成長の機会にして信仰を育てていきたいものです。

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