「イエスは、その場所にこられたとき、上 を見上げて言われた。ザアカイよ、急いで下りてきなさい。今日、あなたの家に泊まることにしているから。そこでザアカイは急いでおりてきて、喜んでイエスを向かえ入れた」 (ルカ19:5~6)
ザアカイが木の上から、イエス様の一行を見下ろしていると突然、ちょうど彼が登っているいちじく桑の木の下で一行が立ち止まり、その前後の群衆が動かなくなると、その一行の中心におられた方が上を仰いで、「急いで下りてきなさい」と言われたのです。びっくりしたのはザアカイです。このようなイエス様の呼びかけは、彼が全く予期していなかったことでした。彼は急いで下りてきました。ここにも色々な教訓があります。まず、救われるためには下りてこなくてはなりません。イエス様より上にいたのでは救われようがありません。私たちはいろいろな木に登ってイエス様を見ようとします。つまりは木の上から信仰と呼ばれるもの、宗教の世界を眺めています。しかし、そこには救いも平安もありません。木から下りることが必要です。私たちが登っている木は、現代科学という桑の木かもしれません。あるいは社会常識という木、また利己主義や無関心という木もあります。あまり確かでもない自分の木にぶら下がっているのかもしれません。イエス様を見下ろしていたのでは救われないのです。信仰は見下ろすことではなく、仰ぎ見ることだからです。見下ろしている限り、それは信仰とは言えません。木から下りてこない限り、ザアカイには救いも平安もありませんでした。木の上にいる限り、信仰を体験することはできません。イエス様の恵みを体験するには、木から下りることが必要です。
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