「子供の手を取って、タリタ、クムと言われた」(マルコによる福音書5章41節)
ヤイロの家からは「お嬢さんは亡くなりました。もう先生を煩わすには及ばないでしょう」という死のメッセージが届き、イエス様からは「恐れることはない。ただ信じなさい」との生命の
メッセージが語られます。ヤイロは、その板ばさみになりましたが、イエス様のみ言葉に支えられて家に向かいます。恐れと信仰は同居させる必要はありません。
「完全な愛は恐れを締め出します」(ヨハネの手紙Ⅰ 4章18節)
信仰、希望、愛は恐怖とは無縁です。イエス様は、ただ信仰のみによって復活したという、
大いなる現実の前に立ちなさい、と励ましてくださっているのです。
ヤイロの家にはあざ笑う人々が待っていましたが、イエス様を信じることのできないかたくなさは、主の力をあなどり冷笑するところまで行ってしまうのです。
あざ笑う愚かさはそこに残して、イエス様はペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて子供のいる所へ入られました。この3人の心に復活の力が焼きつけられるようにです。
「タリタ、クム」少女は主の言葉に応答して起きました。
ヤイロをおそった苦難は、主にあって希望と平安を産み落としました。
平安はシャロームの語源です。この平安は個人の安逸をさすのではなく、試練や戦いの最中で
あっても神様との関係は揺らぐことはないといった状態を表現しています。
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