「正しい者は7たび倒れても、また起きあがる」(箴言24章16節)
人は誰しも十字架と呼ぶものをいただいているものです。嫌な仕事、古い傷、苦しい人間関係、病気等です。しかし、それから逃げないで、目をそむけないで、その十字架を担って、主の後に、従うとき、それはいつしか、私たちの復活につながってゆきます。
キリストは、十字架を担われてゴルゴダの丘へ登る途中、その重荷に耐えかねて、三度倒れたという伝説が残っています。そしてその間、シモンという通りがかりの男の助けを借りて、ようやく丘の頂にたどりついたと言われています。
だから私たちも倒れていいのです。苦しいときには他の人の助けを求めていいのです。
そうして初めて、自分の弱さを知り、他人の優しさに気づくことがあるのです。
倒れなければ、倒れたときの苦しみもわからないし、起き上がったときの喜びもわからないものです。倒れた目線で世間を見ることもできません。
人生において大切なことは、倒れないことではなくて、起き上がることであり、倒れたことによって強くなってゆくことなのです。
十字架を担うとき、必ず復活につながってゆきます。そして恵みの神は、十字架を担い通した者に必ず復活の喜びを味わわせてくださるのです。
主のふところに倒れ、憩いましょう。
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