「アブラハムは、ベエル・シエバに1本のギョリュウの木を植え、永遠の神、主の御名を呼んだ」(創世記21:33)
アブラハムは、アビメレクとの契約の記念として、木を植えました。
当時も今もパレスチナでは、この常緑樹は聖木と考えられているそうです。
木は30メートルの地下水脈まで根を伸ばして吸水します。
乾季が長く続いて他の木々が枯れても、「流れのほとりに植えられた木のように」「その葉は青々としている」のです。(エレミア書17:8)
永遠の神、不変の神に根を下ろして生きる人は、そのようにたとえることが出来るのではないでしょうか。人との約束事も、真実をもって対処できることでしょう。
神への信頼は、み言葉の約束、祈り、信仰という、人々に見られることのない隠れた継続的な活動ですが、常に変わらない態度、また突発的な変事が起こったときに証明されます。
以前、ある教会で、会堂改築と合わせて空き地を美しい庭に改造したことがあり、裏庭で根詰まりしていた木をそこに移動させました。そのとき、造園主から聞いた話です。
半径と同じだと。根が垂直に、あるいは水平に伸びようとも、いずれにせよ、見える部分は見えない部分で支えられているのです。み言葉に親しみ、祈りに時間を取る。
クリスチャンとして大事なことを学んだ気がします。
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