「私はこう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり・・・。」(フィリピ1:9)
愛は「高さ」「深さ」「広さ」「長さ」を持つものとして品性を築いてゆきたいのです。以前、調律師の方が、わが教会の礼拝に出席して下さいました。
礼拝後の挨拶の折に感謝の辞を述べ、続いて彼は親切にもこう言って下さいました。
「先生、ピアノの音に狂いが生じているようです。良かったら調律しましょうか」調律師は、研ぎ澄まされた耳と神経で、微妙に狂ったピアノ音を調整してきた人です。卓越した耳の人は、瞬時にわずかの狂いを見抜きます。
「見抜く力」は今日の聖句によれば、悪を喝破(かっぱ)するというよりは、キリストにある愛に成長するうえで何が本当に重要なのか見分ける力の事を言っています。愛の求道者としてイエス・キリストを追い求めてゆきたいと思います。
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